寿座の話
本所緑町一丁目に小芝居の寿座があった。
浅草の宮戸座が閉鎖して、そこの俳優さん達が寿座に集まった。勿論戦前の話であるが、もう戦争末期で、芝居を観ているときに警戒警報が二度程鳴ったのを覚えている。多分偵察に飛んできたのである。それからしばらくは平穏な時代が過ぎ、勿論芝居は続けられた。
宮戸座や寿座などで観た、我々世代で知っている役者のひとり市川新之助(九代目団十郎の妹娘の婿)は、綺麗な役者で、良弁僧正がよかった。義士外伝に繋がる「石切勘平」なんていう芝居もあった。松本高麗之助の「輝虎配膳」や「大蔵卿」、板東竹若の「封印切」などは絶品。実川延松の「寿門松」の浄閑も。市川福之助などは大歌舞伎に来てからは、「忠臣蔵六段目」のおかや、「実盛物語」の九郎助の女房などで活躍したが堂に入っていた。小芝居復活の「壺坂霊験記」もまた面白い。お里に横恋慕する雁九郎という悪党が出てくるが、同名のメリヤスが竹本に残されている位だから、お客を喜ばせるために関係者はかなり苦労しているのがわかる。
小芝居は普通二回芝居といって馬鹿にされるが、今に思えばお客を充分に楽しませてくれた。同じものを一日に二回やり、狂言は十日間で変わる。観る方は楽しいが芝居の関係者は大変だったろうと思う。時代の流れで小屋はなくなり、小芝居に出ていた人たちが、大役は付かないまでも大歌舞伎に入って、脇で今の歌舞伎を支えてくれた。感謝せずばなるまい。しかし現在は殆どそのような人は残っていないと思う。
最近歌舞伎フォーラムで、大歌舞伎で取り上げられない小芝居の狂言の復活を、何回も続けているが、大賛成である。今では知っている役者がいないので、台本があってもなかなかおいそれと出来ないようである。特に義太夫狂言は無理だ。もっと早くに手を打つべきだった。
<弥乃太夫>
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