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火曜日, 3月 15, 2005

猩々

最近の舞踊会では、義太夫の「猩々」がよく演られる。
この演目は、文楽の野沢松之輔師が作曲されたものと認識している。大変に名曲なので、上演頻度も高いのは結構なことだが、一般に著作権に対しては神経を使うべきで、組合や作曲者、或いは権利の保持者に使用許可を得る事が必要である。私は芸団協で著作権委員をしたことがあるので、新作に関する使用者側の無許可の対応が気になる事が多い。

猩々は中国の伝説上の妖精といわれ、孝行な酒売りの前に現れ汲めども尽きぬ酒を与える。日本にも似たような「養老の滝」の伝説がある。 謡曲では伝授ものとかで格調の高いものである。

ところで、この「猩々」は、舞踊に掛けたときに歌詞の誤りが気になるものの一つである。
“汲めども尽きず、飲めども変わらぬ秋の夜の杯、陰も傾く入江に並立つ”この並立つは、波が立つのでなく“かれたつ”と発音し、並び立つ意味である。ちなみに観世の謡曲本では、“入江に枯れ立つ足もとは”となっており、入江に枯れ立つ“蘆”に“足”を掛詞としているとの解説が載っている。義太夫の歌詞の発音は往々にして 間違いが多い。我々も知らず知らず誤りをやっているようだが、気が付いたら直したい。

「蝶の道行」で、“袖を片敷く新枕”を、“袖を堅めし”と言ったり、「狐火」で“兜を冠(かづ)けば”を、“担(かつ)げば”と言ったり、また「柳」で、“都の土産(つと)”を、“つど”と言ったりする。 「陣屋」では“涙は胸に咳き上げし”か、“せきのぼし”かいまだに解らない。ほじくり出すと沢山出てきそうである。

<弥乃太夫>

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水曜日, 3月 09, 2005

酒に因んだ義太夫

弥乃太夫の名入り酒の話のついでに、酒に因んだ義太夫について少々。
義太夫でお酒が出てくる演目も色々あるようだ。まず、「妹背山四段目 」口の「井戸替え」。舞台は奈良の三輪の里。毎年七月に長屋の井戸の浚えをした後、振る舞い酒が出る。最初は「男山」と言う酒、長屋の連中がぶがぶ飲むので、酒屋の丁稚子太郎があきれ果て、やや下等な「鬼ごろし」を出す。賑やかにこの行事が済んだ後、同じ長屋に住む求女が涼しい顔で帰ってくるから、連中が怒る。誤解が解け総踊りになる。“道具や節”がふんだんに使われている。 また、忠臣蔵外伝の一つ「増補忠臣蔵・赤垣源藏徳利の別れ」。講談や浪花節にもなっているが、義太夫でも昔は素人の義太夫会にはよく出た。見台の前では、酒飲みの仕草でお客を笑わすパフオーマンス が行われる。暮れの納会の出し物だ。此処の場の酒に銘柄はない。ところで、史実では源藏は下戸のようだ。

<弥乃太夫>

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弥乃太夫の名入り酒

新潟県長岡市に銘酒「吉乃川」というのがある。昨年の地震では、長岡の宮内というところにあるその「吉乃川酒蔵」も大被害を被った。心よりお見舞いを申しあげる。

この「吉乃川」は昔から私の好きな酒で、長岡へ仕事の折りにはよく飲んでいた。4年前、我が家を改築し稽古場を開いたとき、記念に酒を出そうと思い立った。聞けば、一定量注文すれば既存の酒にオリジナルのラベルを貼付することができるという。そのとき、真っ先に思いついたのが「吉乃川」だった。早速現地へ行き試飲して、数ある「吉乃川酒蔵」の酒の中から、フルーテイでちょっと辛口のものを「弥乃太夫オリジナルラベル」の酒として決定した。手前味噌だが、すっきりとした「弥乃太夫」の文字のラベルは、中の酒ともよく合っていると思う。デザインは、酒蔵との折衝もしてくれたお弟子の木村義志氏である。
おかげで大評判のうちに初回注文の分はあっという間になくなった。翌年行った私とお弟子の「弥乃太夫会」25周年記念の際には再度注文して、趣向の富くじの景品などで皆さんに賞味頂いた。それから2年、今年も又地震被害のお見舞いをかねて注文した。地震被害をのりこえての一番新しい平成17年2月の製造である。我が家にお越しの節は、この新酒をぜひ一度味わって見てください。

<弥乃太夫>

*「弥乃太夫」ラベルの酒については、「三味線横丁・花見の会」のコーナーもご覧下さい。写真あり
http://homepage2.nifty.com/yanotayu/page83.htm

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