猩々
最近の舞踊会では、義太夫の「猩々」がよく演られる。
この演目は、文楽の野沢松之輔師が作曲されたものと認識している。大変に名曲なので、上演頻度も高いのは結構なことだが、一般に著作権に対しては神経を使うべきで、組合や作曲者、或いは権利の保持者に使用許可を得る事が必要である。私は芸団協で著作権委員をしたことがあるので、新作に関する使用者側の無許可の対応が気になる事が多い。
猩々は中国の伝説上の妖精といわれ、孝行な酒売りの前に現れ汲めども尽きぬ酒を与える。日本にも似たような「養老の滝」の伝説がある。 謡曲では伝授ものとかで格調の高いものである。
ところで、この「猩々」は、舞踊に掛けたときに歌詞の誤りが気になるものの一つである。
“汲めども尽きず、飲めども変わらぬ秋の夜の杯、陰も傾く入江に並立つ”この並立つは、波が立つのでなく“かれたつ”と発音し、並び立つ意味である。ちなみに観世の謡曲本では、“入江に枯れ立つ足もとは”となっており、入江に枯れ立つ“蘆”に“足”を掛詞としているとの解説が載っている。義太夫の歌詞の発音は往々にして 間違いが多い。我々も知らず知らず誤りをやっているようだが、気が付いたら直したい。
「蝶の道行」で、“袖を片敷く新枕”を、“袖を堅めし”と言ったり、「狐火」で“兜を冠(かづ)けば”を、“担(かつ)げば”と言ったり、また「柳」で、“都の土産(つと)”を、“つど”と言ったりする。 「陣屋」では“涙は胸に咳き上げし”か、“せきのぼし”かいまだに解らない。ほじくり出すと沢山出てきそうである。
<弥乃太夫>
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