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木曜日, 6月 30, 2005

夜店の数学

今は縁日というのがめっきり減った。辞書には、ある神仏に特定の由緒ある日、とある。この日に参詣すれば、ご利益があると信じられている。だから縁日なのだ。毎月四日はお地蔵さま、五日は水天宮、十七日は観音さま、二十八日はお不動さま。そのほかにも、干支(エト)に因んで申の日とか、酉の日のおとり様、浅草では植木市、羽子板市、ほうずき市、朝顔市などの市も立つわけで、これらも縁日と呼んでもいいだろう。とにかく沢山あるわけだが、とりわけ神仏に関係なくとも、戦後の銀座などは、銀座四丁目を中心に縁日の屋台が軒を並べていた。MPの腕章をつけたアメリカ兵が、交差点の真ん中で交通整理をしていた頃である。

わたしが小学生のときの話だが、浅草では毘沙門さまの縁日が毎月立った。大層な賑わいで、必ず行った。それは一つの目的があったからだ。詰襟をした学生が黒板を拡げ、数学を教えるのである。一時間でも二時間でも、私は立って見ている。僕たち、この計算が出来るかな?一人一人に、君は出来るか?と聞く。同じ数を二つ掛けると幾つになるかな、ある方法を使うと、早く計算することが出来るのだよ。それはこの冊子に書いてあるよ。いくらだか忘れたが、それを売るのである。私はそのガリ版刷りの本が欲しかった。おばあちゃんに小遣いを貰って買ったことを覚えている。

ではその中から一例を。
一桁目の数が足して10になり、二桁目の数が同じ場合の掛け算。
25×25、46×44、87×83
などは、一桁の数字はそのまま掛け、二桁目の数字はどちらかの数を一つ余計(2なら3)にして掛ける。
25×25の場合、5×5=25、2×2を2×3にして6、答えは625である。
同様に、46×44=2024、87×83=7221  

また逆に、一桁目の数が同じ、二桁目の数が足して10になる場合。
48×68、84×24、36×76、
などは、一桁目は其のまま掛け、二桁目も其のまま掛けるが、さらに一桁目の数を足す。
48×68なら、8×8=64、4×6=24、24+8=32、答えは3264。
84×24=2016、36×76=2736 
 
まだまだいろいろあるので、興味のある方には個人的にお教えしましょう。
今回は義太夫に関するお話がなかったので、せめてこんなのを覚えてください。
竹本義太夫さんが義太夫節を考案したのは、貞享元年(1684)です。イロハヨイと覚えましょう。
今年は2005年ですから、2005-1684=321 もう321年も前のことです。
悪法と謂われた「生類哀れみの法」が発布されたのが、貞享二年と言われています。  

<弥乃太夫>

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土曜日, 6月 25, 2005

夕顔棚

「絵本太功記」の十段目は「尼崎の段」、文楽では端場の部分を俗に「夕顔棚の段」という。ここは特に立端場といって、難しいとされている。切りの尼ケ崎に登場する人物全員が、顔を揃えるからであろう。歌舞伎では、「尼ケ崎庵室の場」といっているが、最近では夕顔棚からそっくり演じる事はあまりないようである。
『名作歌舞伎全集』(東京創元新社)では、夕顔棚の場から掲載されている。
近所のお百姓が帰り、“老母はつどつど門送り・・”そこへ初菊と操が見舞いに来る。
その後に、久吉が旅僧になってこの家に駆け込み、皐月にお餅を振る舞われ喉につかえるおかしみがある。
小芝居ではこの場面がすこぶる面白い。母もこの話が好きだった。
皐月が“ちょうど今日は志の供養のかちん、これなと上がって御寝なさって下さりませ”と久吉に差し出す。
この(かちん)というのが解らなかった。辞書で調べたら、お餅のこと。搗ち飯、餅をいう女房詞のこと。(小学館大辞泉)いまでは殆ど死語であろう。

この演目のように、文楽でも歌舞伎でも人気のものは、同じ内容ながらそれぞれ独自の演出が定着しているものが多い。昨年我が家で行った義太夫研究会では、解体新書と銘打ち、この「絵本太功記」十段目を取り上げた。歌舞伎の「絵本太功記」、文楽の「絵本太功記」を徹底的に“解体”し対比させる試みである。同じ演目でも、歌舞伎と文楽では曲節がお互い独自のもの、共通のもの様々である。

歌舞伎の切場で、十次郎が出陣の支度の間、初菊が袖に兜をのせて引く場面で奏されるのが「物着の合方」である。
この場面は文楽にはない。歌舞伎では役者が着替えている間、このような合方で舞台の空白を埋め、間を持たせなければならないが、文楽の人形では必要ないからである。義太夫では「鎧引き」と習ったが、いかにも歌舞伎的で楽しいものである。 また「天神」という二重の上からミエをきる、独特の手法がある。時代物では多様される。片足を踏み出すとき、目の不自由な俳優が誤って足を踏み外したので、三味線弾きがとっさの機転でズズズと弾き、効果的だったので以来型として残ったと、戸板康二氏が解説に述べているが、私が聞いたのは床の三味線弾きがツンツンと弾くところを、手がすべってズズズズと弾いてしまった、以来この手が使われるということになっている。ツン、ツツツツツン、(すりさげ)でツンツンで決める。 ではなんで天神というのか。語源は様々に憶測されるが、信憑性が薄いのでいまは控える。
この太功記に限らず、同じ題材を文楽と歌舞伎と対比すると、双方の良さを随所に発見できるものである。これからさらに勉強してゆきたいと思っている。

<弥乃太夫>

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水曜日, 6月 15, 2005

英語が入る義太夫

劇の中に、中国人、アメリカ人、日本人と三人の会話が入っている義太夫がある。
外題は、「忠孝義誉松ケ枝」 景事日光山 豊沢団平作曲。
豊沢松太郎師が提案されて、義太夫協会の公演に上演したことがある。

文明開化の世の中になって、欧米各国から外国人が日本にやってきた。ようこそ、と言うわけで、日本人が、日光東照宮を観光案内する。
ここに美しい、お月という芸者がいる。早速西洋人が言い寄ってくる。まんざらでもないお月さん、二人は仲が良くなってくる。

“水道の水の雪の肌、鬢のほつれの仇姿、
「ユウユウ、シガレットこちらへ」言う顔つくづく西洋人、
「アラ、あなた、またタバコ、のみますか、早う見物すませないと、こりゃ、せわしない」
「ユウのウオッチ、ホワットタイム、イズイット、」
「さようさ、もう大方一時ごろ、」
「オオそんならもう、アフタヌウン、おまへとこうして道行くも、西洋人と、お前はジャパン、
末は夫婦と思うても ついには仲もサランパン」言う顔お月は打ち眺め
「ほんに思えばリレーション、忘れうものかラスト、イヤーのスプリング、
出会いしアイのフハインデ、隅田の花より、パリ、ロンドン、ぞっと身に染むラブラフト、
パレンツ、ファザーも振り捨ててユウのおそばへ、スリップと、思うはアイが、
アイライク、アイドンノウ、聞こえませぬ」と取りすがり…“

ざっとこんな調子で進んでゆく。義太夫のことばで、一語一語力を入れしっかり言うので、おかしい。
それをみていた中国人の村雲香(ソン、ウンカ) 二人の中に割り込む。
「テンキョテンキョ、東京に帰り、ニュースに出します、ヒヤヒヤヒヤ」と興じける…“(略)

まだまだ続く。他愛も無い義太夫だが、かの有名な二代目豊沢団平さんが作曲されたものであることも驚きだ。新時代に先駆け、英語を取り込んだその姿勢に大いなる拍手を送りたい。

<弥乃太夫>

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金曜日, 6月 10, 2005

昔の義太夫稽古

一頃言われた「日本国民総中流化」した上、バブル崩壊後の日本経済、セレブは群れていても、何となく明るい兆しの見えない日本の状況。そんな今の日本からすると考えられないような義太夫の稽古をしていた人が、弥乃太夫先生の知り合いにはかなりいたらしいのです。

そのうちの一人、その人は原田さんといい、自分が義太夫を語るために女義太夫の三味線弾きを囲い、語りの師匠として大阪から文楽の太夫を招き寄せていたというのです。その文楽の師匠というのは、今の文楽の大御所、竹本住大夫のお父さん。
原田さんは弥乃太夫先生に、「一緒にいるだけで義太夫の勉強になるからそこにすわっていなさい」といってくれたそうです。現在の住大夫師ともそこで知り合いになったらしいのです。
とにかく自分の稽古のため、文楽大夫を呼び寄せ、三味線弾きを囲い、おまけに箱屋さんをも何日も逗留させるという、お金の使い方。いくらお金を持っていたのか知らないが、随分と豪放な時代だったのですね。

このような義太夫の稽古をして、真剣に義太夫節の「風」についての伝承をまとめておこうとしたのが、杉山其日庵の手になる『浄瑠璃素人講釈』です。
幻の名著といわれていたものですが、最近岩波文庫で上下二冊復刊されましたので、興味ある方は是非ご一読を。 

<山記>

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