四万六千日と雷除け
毎年七月九、十日は浅草観音の四万六千日で、善男善女のお詣りで大層な賑わいを見せる。何しろこの日にお詣りをすれば、観音菩薩の御利益を四万六千日間受けることが出来るというのだ。電卓で計算したら126年と10日。私は生まれてこの方、毎年お詣りしているので大変な数字になる。
当日は、風神雷神が祀られた雷門をくぐり、仲見世をまっすぐに観音堂に向かうと、境内ところ狭しとホオズキの市が立並び、本堂では災難除けとして雷除けのお札が売られる。雷は昔から、「地震、雷、火事、親父」の怖い物の代表である。かみなりは神鳴りで、神の怒りに触れるから怖いとされているのだ。
しかし雷神はどこかユーモラスで、憎めないところがある。それは、あの想像画から来ているのかも知れない。虎の皮の褌をはき、角を生やし、太鼓を背負っている。そして人間のへそが好きだ。
義太夫節に「かみなり」と言う曲節がある、かみなりをユーモラスに描写したコミカルな曲で、化け猫を逆さにした「猫化け」という曲と双璧をなす。
また舞踊曲の「かみなり」(「お染の七役」より・・これは元来、常磐津の曲らしい)にはとぼけた詞章がついている。
“西で鳴らそうか、東で鳴ろうか、思う坪さえ北山風に、雲のかけ橋スッテン、スッテン、
天ころり、おしゃりこしゃ、落ちて下界の面白や、ピカピカごろごろ、雷さん。
雷下駄はいて、絞りの浴衣で、来るものか、オッチョコチョイノチョイ、こわや、雷、角が、二本あって頭が獅子のようで、大きな牙剥いて、剣のような尖った爪で、大事な々々、私のおへそをとろとした、私もその時や、どうしよかと思った、泣くなよい子じゃ、こんなものやろうな、二度と出よまい夕立時に、ほんの事じゃと思わんせ。・・“
雷が空から落ちて医者の世話になり、治療代が払えない変わりに、人間に害を与えない約束をして、天上に戻ってゆく。
では俗曲を一つ。新土佐節、
“かみなりさんは粋な方だよ、戸を閉めさせて、二人を取り持つ、蚊帳の中、ソウダソウダ、マッタクダヨ”
そういえば一頃「かみなり族」というのが流行った。いまでは「ドリフト族」と言うのがあって、急ブレーキをかけて方向転換などを競う技術集団とのことらしいが、いずれにしても雷から派生して危険なことだ。音曲のかみなりさんはとぼけて、ちょっと粋だが、現実の雷はやはり怖い物である。
<弥乃太夫>
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