入谷と朝顔市、根岸の話
入谷の鬼子母神、真源寺の境内には、毎年七月六、七、八日に朝顔市が立つ。梅雨の盛りの市なので時々雨が零れる。朝顔は朝早く行かないと花がしぼんでしまう、午後から行ったのでは駄目だ。最近は浴衣姿の女性が目立つようになった。
昔から、鬼子母神と言えば、「おそれ入谷の鬼子母神、びっくり下谷の広徳寺」と言いならされているので、東京の下町では懐かしい場所である。
そしてまた、入谷と来れば、
“雪のあしたの入谷の寮で、アッタトサ、可愛い直はんの膝にもたれて泣いたとさ、エッササのエッササのエッササのサ“の「お伊勢詣り」の俗曲替歌でおなじみ、直はんこと片岡直次郎と三千歳花魁との逢瀬の場でもある。三千歳花魁との濡れ場では、清元「忍逢春雪解」がはいる。
「待ってました」!”一日逢わねば千日の、想いにわたしや煩うて、鍼や薬のしるしさえ、泣きの涙に紙濡らし、枕に結ぶ夢さめて、いとど想いのます鏡・・・・・“
直次郎は、歌舞伎の舞台では蕎麦やの場で実際に蕎麦を食べる。
江戸歌舞伎ならではの粋な芝居である。私は幕切れ近く、丑松との別れが好きだ、
「長い別れになる二人、どこぞで一杯やりてえが、町と違って入谷じゃあ、食い物店は蕎麦や
ばっかり、天か玉子の抜きで飲むのも、しみったれた話だから、祝い伸ばしてこのままに、別れてゆくも降る雪より、互いにつもる身の悪事・・・」 河竹黙阿弥の傑作である。
その入谷の近くの根岸、そこには「化け地蔵尊」というのがある。大分以前には、根岸の花柳界に見番があって、そこでは義太夫の会が時々催された。私も出演したことがあったが、近くに住む義太夫が大好きなおばさんがその化け地蔵の由来を教えてくれた。
直次郎が三千歳のところへ通うとき、必ず地蔵の前を通る。地蔵が焼きもちを起こして、クルット背中を向けるので、いつとは知らず「化け地蔵」と呼ばれたと。
また近くには、樋口一葉の小説に出てくる、小野照さまがある、その境内には、七月一日の山開きに開山する、三階建て位の高さの富士山がある。頂上まで何合目と札が立っていて、今年も登ってきた。他にも「御行の松」や豆腐料理の「笹の雪」もまた有名である。
もうひとつ、根岸というと昔からよく言われる、「○○や、根岸の里の侘び住まい」
これは便利なことに、○○になんでも季語をはめれば俳句が出来てしまうという。
では私も最後に一句。
梅雨空や 根岸の里の わび住まい
<弥乃太夫>
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