上方唄「十日戎」
上方唄の「十日戎」は当時の流行歌らしくいろいろな芸能に使われた。義太夫では「寿連理の松」港町の段で、主人公の太左衛門がほろ酔い機嫌で戻るときにこの十日戎の曲が使われる。“イヤ申しご無心ながら、煙草の火を一つおかし、ヤこれ姉さん、正月に針仕事とはテモきつい、篤実家じゃな、親父さん留守かえ、清十郎どんはどこへ、播磨のお客や、島之内のも息災でかな…”この義太夫は、お夏清十郎を取り扱いながらもめでたい段切で、そのためか外題にも「寿」の文字を嵌めてある。そんなめでたい演目に、お正月の屠蘇気分が漂ってくるこの曲はいかにも似合っている。また歌舞伎では「関取千両幟」稲川内での鉄ヶ嶽の台詞、“コリャまて、待て稲川、その身請けの訳もその客も、この鉄ヶ嶽がよう知っている程に、まあ行かずともよいわいやい…”のメリヤス(BGM)に使う。
この曲は酔っ払いの出入りによく使われている。仲間(ちゅうげん)などが酔ってあっちへヨロヨロこっちへウロウロした光景に、伸縮、緩急自在のメリヤスとしてうってつけなのであろう。いかにも酒に気持ちよく酔った曲調のようだが、もともとの歌詞に酒や酒飲みのことが読み込まれている訳ではない。なぜこの曲が酔っ払いのイメージで使われるのか。常々不思議に思っていたところ、戎神社からの帰り、タクシーの運転手の言葉で疑問が解けた。いわく、笹は酒のことであると。つまり酒は古くはササといった。“笹を担げて千鳥足”は“酒を担げて千鳥足”の意味でもあったのだ。また上方の商家では、酒をもらったお返しに商売繁盛の縁起物の飾りを差し上げる風習があったとのこと。その風習や戎詣りの縁起物を読み込んだこの唄は、商売繁盛の神様戎さん信心が高まるにつれ、大流行したのだろう。義太夫に採りいれられ、笹=酒の連想からか酔っ払いのシーンに繰り返し使われる内に、この曲を聞いただけでお屠蘇気分になったのかもしれない。曲調とシーンがよく合っていたので、後に歌舞伎にも採りいれられたと思われる。
もともとの意味はなくても、繰り返しある場面で使われる内に、あるイメージができあがる。曲節とは大体このようにして出来上がっていくもののようである。
戎さん詣でのご利益か、一つ利口になったようだ。
<弥乃太夫>
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