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木曜日, 1月 12, 2006

羽子板市

毎年、師走になると浅草観音境内には、羽子板市が軒を並べる。観音様の日は毎月17、18日で、歌にも「17、18観音さん、25日は天神さん、28日は不動さま」と言う。浅草では近年三社祭は5月17、18日に近い日曜日を選んでいるが、この羽子板市だけは17、18、一つおまけして19日の三日間だけである。日曜には関係ない。羽子板市は詳しくは「歳の市」という。又、羽子板市と同時に「ガサ市」というのが観音様の裏の境内に立つ。
此処では注連飾りなどの正月の飾り物が主として売られている。派手な色彩の羽子板とちがって、名前からして派手さがない、だから知る人は少ない。

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さて、今年の羽子板市は晴天に恵まれた。年々店は増えているようであるが、羽子板に特に目立ったものはない。年々、押し絵の役者絵のものが少なくなり、淋しい限りである。昔はその年に人気のあった歌舞伎役者の羽子板が飾られたが、今では映画女優や、野球や、スポーツ選手のものが目を惹くだろう。あとは役者絵でない道成寺などの只々綺麗だ、と言うだけの羽子板である。中村勘三郎襲名のものは、ただ写真が飾られてあった。特大な羽子板の題材は相変わらず、一ノ谷嫩軍記の組討ち、である。にこにこ笑っているのは、秋場所後大関になった琴奥州の羽子板。そして松井、イチローなどスポーツ選手のもの。並べてある羽子板を指して、そこの「入谷」見せてとか、手前の「松王」などと言ってもわからない。売り子のおねえちゃんが歌舞伎を知らないのである。…

私の母は芝居が好き、羽子板が好きで、私にもその気風が伝わったか、殆ど毎年のように買った時期があった。母は、値切るのも一段と上手かった。値切ったぶんは羽子板屋にご祝儀として渡すのである。私の娘が生まれたとき、母が買ってくれた歌右衛門(当時、芝翫)の「瀧夜叉」は、いまでも毎年の正月には日の目を見る。物心つくころから見慣れたせいか、娘も羽子板が大好きである。「瀧夜叉」は常磐津の名曲で・・・・嵯峨やお室の花盛り・・・直接義太夫とは縁がないが。我が家の羽子板は、特に歌舞伎義太夫狂言の作品が多い。野崎のお光、妹背のお三輪、先代萩の政岡、道成寺、かむろ、他にも助六、外郎売り、三人吉三、等々きりがない。羽子板を前にことあるごとに芝居を話題にしたのが影響したのか、娘も歌舞伎や邦楽に趣味を持つようになった。

慌ただしき年の暮れ、一段落して座敷に羽子板をいっぱい飾る。色とりどりの色彩に囲まれて、アアもう正月だとわくわくしたときもあった。今はお正月でも、羽根の音は都会では聞こえない。せめて羽子板の色どりに昔の正月の風情を感ずるばかりである。

 <弥乃太夫>

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