東海林太郎の野崎小唄とチャンバラ映画の音楽
東海林太郎は姿勢がよく直立不動でマイクの前に立つ歌手で、いろいろヒットを飛ばしたが、中でも「野崎小唄」は一世を風靡した。この曲はもちろん義太夫「新版歌祭文-野崎村」の段切り、舟と駕籠での送りの旋律である。作曲は大村能章である。
私が師事した野沢吉二郎師がよく話していたが、大村能章さんは義太夫が好きで、熱心にメモしていたそうだ。のちには「堀川」のさわりにヒントを得て、「おしゅん恋歌」が出来た。日本的な歌謡の作曲には定評があった。
“野崎参りは屋形船で参ろ、お染久松切ない恋に”われわれ世代ならこれほど人口に膾炙した歌謡曲は無いが、さすが現代の若い人は知らない。私が音調基本講座で義太夫の曲節を説明したときに例を野崎村に挙げたが、一時代前なら判ってくれたがもう時代は過ぎた。
古い話をもうひとつ。映画が活動写真といった頃の話だ。無声映画を子供の頃辛うじて体験した。それは当時の大都映画(大映の前身。のちに日活、新興、大都が合併)で、大きなスクリーンの下にオケボックス(オーケストラボックス)があって、和洋合奏で映画のBGMを演奏する。勿論弁士がいる。
チャンバラ映画では,千鳥の合方や、越後獅子、勧進帳の滝流しといった曲節が使われる。“東山三十六峰眠るがごとき丑三つ時、たちまち響く剣戟の響き”御用提灯が煌めく、嵐寛の剣先がひらめき、ばったばったと捕り手達をなぎ倒す。痛快そのものであった。千鳥の合方といえばチャンバラの場面。この話をやはり音調基本講座でしたところ、「野崎小唄」と同じくご年配の人の共感は得たが、若い人にはさっぱりだった。
戦後、女剣戟が流行った時があった。大江美智子、不二洋子、そして浅香光代など。女の立ち回りで評判になり歌ができた。その節は千鳥の合方の節で歌う。
すなわち、“昔、侍さんは本気になってチャンバラした、今じゃ女が芝居でチャンチャンバラバラ”。今よりは、何と穏やかな時代だったなと思う。
<弥乃太夫>
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)